漂々日記

Wandering Diary 

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自省など 

 

今は無き町田にあった小さな美術予備校に高3の夏から2浪まで通っていた。
そこでは、デザイン科だった。見た目からか、今となってはそう言ってもなかなか信じてもらえない。
彫刻科でしょう?と過去に何度となく言われたが、その小さな予備校には彫刻科は存在しなかった。

油画ではなく、デザインを選んだ理由は、子どもが戦隊モノに憧れを抱くようにジウジアーロになりたいと思って
いたから。釣銭の計算も出来ない自分の頭脳を棚に上げ、クルマのデザインに携わってみたいと考えていた。

デザイン科では、たとえば平面構成の場合、テーマやサイズ、色数等々細かな指示や制約のある課題に対し
どこまで忠実に応えられるかということを、プレゼンの際の美しさとともに厳しく要求された記憶がある。
これは美大受験の対策だが、美術の世界において優秀な人とは、絵具をこねくり回して需要のない絵を描いている
絵描きではなくて、デザイナーや漫画家やイラストレーターやら諸々の仕事に就くとされるのは、一社会人として
資本主義経済の一端を担い、クライアントの要求にしっかり応えることが出来るから(だと思う)。

自分は結局、そういうことが出来ずに落ちこぼれた。
ある日、予備校で銅版画をつくる機会に恵まれて制作に没頭し、その後、親不孝を省みず宗旨替えをした。

ファインアートに「自由神話」を信じ、美術大学の版画科に入った。
入学してからひととおりの版種をなぞり、創作版画だの、版的思考法だのと聞かされて、二年次からは原理もろく
に理解していなかったリトグラフを専攻した。
正確には銅版画は卒業後も大がかりな設備と費用が必要そうなので早々に諦め、同期では人気のあった木版画は
成績が悪くて抽選から外れたのだった。
後に聞いたところ、入試の際に周囲の反対を押し切って自分を合格させたのはリトグラフの先生だったらしいので
運命だったのかも知れない。

リトグラフをやって確信したことは、このドイツ伝来の版画技法は工夫しなければ日本の風土に合致しないこと。
描画の容易さとは裏腹に、質感に乏しく、意識しないと単なるドローイングの複製が出来上がってしまうこと。
つまり、版表現として弱さがあること。
その後、あの手この手と対策を講じ、気付けば底無しの泥沼にはまり、現在に至る。

油画や日本画からはずっと一定の距離があった。
デッサンに木炭を用いたことは無く、油絵具、岩絵具使い方も、身体性をもって理解出来ていない。
それは、コンプレックスとして常に付いてまわっている。

最近、村上隆の本を読んだ。「芸術起業論」と「芸術闘争論」。村上の作品が理解できずに手に取ってみた。
激しい拒絶反応が出ると思っていたが、そのようなこともなく、文体に魅力は感じなかったが、合点がいった。

予備校ではデザイン科、村上が著書の中で痛烈に批判している美大ではある意味吹き溜まりのようだった版画科と
いう遠回りは、悪くはなかったのかなと思えた。

category: 美術

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