漂々日記

Wandering Diary 

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冷静 

 

相模線はいつになったら動きだすのだろうと、乗る予定もないのに余計な心配をする。
最後はYahoo知恵袋で調べて、(それが本当だとして)納得がいったようないかないような。
それにしても少しばかり冷遇過ぎやしませんかね。
高校も大学も相模線沿線だったわりにさして思い入れもないのだが、高校入試の時はちょうど電化目前で
外吊りドアのキハ35に乗って願書を出しに行ったのを覚えている。確か垂れ流しの便所が備わっていて
駅に停車中は用を足してはいけなかったはず。今となっては考えられないが。
入学と同時期にステンレス車体の205系に変わって、最初は嬉しくもあったが、つまらなくなってしまった。
あれからもう20年。

今、理性を失い、食料や燃料の買い占めをしている人ってオッチャンやオバチャンが多いように感じるのは
気のせいか。
若者のほうが柔軟に、節電にコツコツ努めているように見えるのは偏見か。

若者でもなければジジイでもない年齢だが、冷静な大人になりたいと思う。
ジジイになったときに新たな何かが出現して、たとえそれが理解できなくても頭ごなしに否定しないように
しようと思う。
最近の若者は...なんて絶対に言わないようにしようと思う。
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停電中 

 



かすかに被曝しているのだろうか。

以下、素人の戯言。
原発とは構造的にそんなに難しいものではないと過去に聞いたことがあるような気がするのだが、そこで発生する巨大なエネルギーをいかに制御するかということが肝要であるのなら、乏しきを工夫して豊かさに変える日本人の感性や日本の風土には合致しないように思うし、このような事態に陥るというのは、もはや前時代的なモノのようにも思う。

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輪番停電 

 

初めて聞く言葉。
市役所のHPなどで確認すると、我が家は第1、第4あるいは第5グループであるようだが、同じ地名が何箇所かに
記されていて詳細が分からない。

今日、画材を求め、少し離れた所にあるホームセンターに行くと、電池、懐中電灯、ミネラルウォーター等
防災用品がほとんど品切れになっていた。
ガソリンスタンドの前を通ると長い車の列。
自分も備えたいと思ったが、冷静さを保つように心掛ける方が大切だと思った。

来月早々グループ展の予定があり、ラジオから流れる地震情報に耳を傾けながら制作をしている。
このようなときに絵を描いている自分に疑問を思わなくもないが、生業として成立してなくとも、今はこれを
全うする他ない。

自宅周辺では目立った被害もなく、普段とあまり変わらない生活をしていて、報道等でしか今回の地震が
甚大な被害を及ぼしているということを知り得ないのだが、明日以降の輪番停電で実感することと思う。

あらためて今回の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。

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地震 

 

皆さん、大丈夫ですか?

今日はアルバイトで銀座に行く予定でしたが、休みになりました。
都内は未だ交通が混乱しているようですね。

昨日の地震発生当時、自分は廃屋アトリエで刷りの作業をしていて、危険を感じ石油ストーブの火を消し屋外に
出ました。
我が家(厚木)では、それなりに揺れましたが、家財道具が散乱するようなことはありませんでした。
家族も全員無事です。

被災地域では停電でテレビが見れず、全体の状況を掴むのが困難のようです。
エアコンやファンヒーターが使えず、暖がとれないようです。
IHクッキングヒーターが使えず、調理がかなわないようです。
携帯電話の充電が出来ないようです。

以上、すべてラジオからの情報ですが、そのようなことを聞いて、日々の生活で電気に頼りきっていることを
痛感しました。
あと、想定外の規模の地震とはいえ原発の脆弱さも...。

余震がおさまること、これ以上の被害の拡大が起こらぬことを祈るばかりです。

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祝辞 

 







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自省など 

 

今は無き町田にあった小さな美術予備校に高3の夏から2浪まで通っていた。
そこでは、デザイン科だった。見た目からか、今となってはそう言ってもなかなか信じてもらえない。
彫刻科でしょう?と過去に何度となく言われたが、その小さな予備校には彫刻科は存在しなかった。

油画ではなく、デザインを選んだ理由は、子どもが戦隊モノに憧れを抱くようにジウジアーロになりたいと思って
いたから。釣銭の計算も出来ない自分の頭脳を棚に上げ、クルマのデザインに携わってみたいと考えていた。

デザイン科では、たとえば平面構成の場合、テーマやサイズ、色数等々細かな指示や制約のある課題に対し
どこまで忠実に応えられるかということを、プレゼンの際の美しさとともに厳しく要求された記憶がある。
これは美大受験の対策だが、美術の世界において優秀な人とは、絵具をこねくり回して需要のない絵を描いている
絵描きではなくて、デザイナーや漫画家やイラストレーターやら諸々の仕事に就くとされるのは、一社会人として
資本主義経済の一端を担い、クライアントの要求にしっかり応えることが出来るから(だと思う)。

自分は結局、そういうことが出来ずに落ちこぼれた。
ある日、予備校で銅版画をつくる機会に恵まれて制作に没頭し、その後、親不孝を省みず宗旨替えをした。

ファインアートに「自由神話」を信じ、美術大学の版画科に入った。
入学してからひととおりの版種をなぞり、創作版画だの、版的思考法だのと聞かされて、二年次からは原理もろく
に理解していなかったリトグラフを専攻した。
正確には銅版画は卒業後も大がかりな設備と費用が必要そうなので早々に諦め、同期では人気のあった木版画は
成績が悪くて抽選から外れたのだった。
後に聞いたところ、入試の際に周囲の反対を押し切って自分を合格させたのはリトグラフの先生だったらしいので
運命だったのかも知れない。

リトグラフをやって確信したことは、このドイツ伝来の版画技法は工夫しなければ日本の風土に合致しないこと。
描画の容易さとは裏腹に、質感に乏しく、意識しないと単なるドローイングの複製が出来上がってしまうこと。
つまり、版表現として弱さがあること。
その後、あの手この手と対策を講じ、気付けば底無しの泥沼にはまり、現在に至る。

油画や日本画からはずっと一定の距離があった。
デッサンに木炭を用いたことは無く、油絵具、岩絵具使い方も、身体性をもって理解出来ていない。
それは、コンプレックスとして常に付いてまわっている。

最近、村上隆の本を読んだ。「芸術起業論」と「芸術闘争論」。村上の作品が理解できずに手に取ってみた。
激しい拒絶反応が出ると思っていたが、そのようなこともなく、文体に魅力は感じなかったが、合点がいった。

予備校ではデザイン科、村上が著書の中で痛烈に批判している美大ではある意味吹き溜まりのようだった版画科と
いう遠回りは、悪くはなかったのかなと思えた。

category: 美術

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